PRESS PEOPLE 

新聞社の中の人のブログです。報道の仕事をして30年。誤解されていることの多い業界のリアルを更新していきます。

デキる記者は「周年」を把握している

 戦後75年の節目の夏だった。新型コロナウイルス感染症の影響で、広島と長崎の原爆忌ともども、慰霊の各種式典は軒並み例年より縮小して行われた。新聞やテレビなどメディアはこぞってコロナ禍の「特別の夏」を工夫しながら報じた。

 

 新聞社は、こうしたメモリアル(周年)を大切にする。歴史に残る災害、事件・事故、ニュースを人々の記憶にとどめ、次世代に教訓として残さねばという使命感によるものだ。風化させてはならないという思いがある。

 

 1年、3年、5年、10年というように、節目の年には連載など特集を組んで読者に伝える。特に今年は節目が続いた。阪神淡路大震災(1月)と地下鉄サリン事件(3月)から25年、日航ジャンボ機墜落事故(8月)からは35年。昨年7月の京都アニメーション放火殺人事件(7月)は記憶に新しい。 悲惨な出来事ばかりではない。大阪万博から50周年にあたる年だった。

 

 周年企画は、読者に対しては記憶にとどめ、振り返るきっかけにしてほしいものである。一方で、報道に携わる側にも別の意味合いがある。「周年」は新聞記者にとって 、予定を管理するツール、取材の羅針盤になりうるのである。

 

 例えば、経済部で国土交通省を担当する記者は鉄道や運輸のニュースを扱う。

 鉄道が日本で初めて新橋~横浜で開通したのは明治5(1872)年のことである。ということは、2年後の2022年は日本の鉄道150年の記念の年になる。

 国交省を担当する記者がこうした背景を踏まえて、記念の年を意識して普段から取材活動を続ければ、このテーマに関してはきっと充実した報道ができるはずである。しかし、予定を把握せずに「その日」を迎えたらどうだろう。

 

 デキる記者はあらかじめ予定管理ができている。自分なりの「周年」も把握している。だが、優秀な記者ばかりではない。だから記憶を呼び起こすツールとして、そして注意喚起する〝保険〟として、「周年」は必要なのだと思う。

 

そして来年3月、2011年の東日本大震災から丸10年を迎える。

 

 コロナ禍がいつまで続くが誰にもわからない。未曾有の被害が出た東日本大震災10年をどう伝えたらいいのか。頭の体操をしておかなければならない。