PRESS PEOPLE 

新聞社の中の人のブログです。報道の仕事をして30年。誤解されていることの多い業界のリアルを更新していきます。

2019-01-01から1年間の記事一覧

友人の訃報記事を書く

新聞記者を長く続けていると、取材をきっかけに親しくなった著名人の訃報に接することがある。その人とのやりとりがつい昨日のことのように思い出され、辛く悲しくなる。一方で、故人をよく知っているからこそ直ちに社会面用の訃報記事を書かなければならな…

動画がなければ逃げきれた?

時としてSNS上での動画の拡散は、新聞やテレビなどマスメディアのニュース価値判断、取り上げ方を大きく変えてしまう。 ベタ記事にさえならないような出来事がワイドショーの格好のネタにも、あるいは国の法制度や国際情勢を揺るがしかねないことになり得…

新聞記者は午前3時が怖い

先日、某一流企業の広報担当を長く務めた後に人気企業の社長に就いた男性と雑談する機会があった。新聞というメディアの性質を熟知しているが故に取材対象者としては手ごわいと思う一方、むしろこうした人物がいるおかげで新聞社は生き残っていけると改めて…

新聞社も想定外。「令和」号外争奪戦。

平成31年4月1日の昼過ぎ、東京や大阪のみならず全国の主要駅ターミナルは多くの人でごった返していた。その直前に菅義偉官房長官が新元号「令和」を発表したのを受け、新聞各社は新元号決定を伝える号外を発行し、駅や街頭などで配った。歴史的な出来事…

NIE(Newspaper in Education)をめぐる思惑

活字離れや急速なデジタル化、さらには深刻な人手不足による宅配制度の先細りなど、複合的な要因から新聞社の経営をめぐる環境は厳しさを増している。組織改革、人員削減などが進む一方で、新たなビジネスモデルの模索にも余念がない。 そのひとつが「NIE…

守られない交通弱者

4月から5月にかけ、悲しくいたたまれない交通死亡事故が相次いだ。 東京・池袋で暴走した乗用車にはねられ、母親と3歳の女の子が亡くなった事故。神戸・三宮の横断歩道では、歩行者に路線バスが突っ込み男女2人が死亡した。そして、滋賀県大津市の交差点…

堂場瞬一著『帰還』のリアル

新聞記者出身の作家、堂場瞬一氏の『帰還』(文芸春秋)を読んだ。 あらすじはザッとこうである。50歳を過ぎて地方勤務を希望した大手紙の支局記者が取材中に事故で死んだ。葬儀のため、入社30年になる同期の男女3人が現地へ向かう。今ではその立場も異…

人事異動はスクープ合戦2

前回に引き続き「人事」記事の話である。 毎年3月中旬から4月初めにかけ、新聞の地域面に警察官や教員などを含む地方公務員の人事異動の名簿が掲載される。大規模な自治体や警察本部になると、幹部職員だけでも紙面1ページでは収まりきらない。一般の読者…

人事異動はスクープ合戦1

新聞記者の仕事のうち、社内はもちろんのこと、ライバル他社にも高く評価されるのが「人事で抜く」ことである。ベタ見出しの小さな記事にしかならないことも多い、地味な仕事なのだが、取材にけっこう労力もかかるし経験も必要だ。何より人脈が物を言う。 一…

鳶(テレビ)が油揚げ(ネタ)をさらっていく!

事件記者をやっていたころ、民放テレビ局の報道記者がうっとうしかった。 大きな事件が起きると、警察本部詰めの新聞記者は捜査の進展を続報として書くため、捜査関係者の自宅を訪ね、〝あるじ〟の帰りを待つ。それが未明になることもあれば、帰宅しなかった…

メモの力は記者の力

多くの人が新聞記者は文章がうまいと思い込んでいるに違いない。でも、それは大きな勘違いである。一部のコラムニストや作家先生を目指す記者を除けば、その筆力は五十歩百歩というところだろう。もっとも、誰に何と言われようと文章に自信を持っている記者…

権力を監視!? 記者の名刺でかんちがい 

新聞社に入社した頃、先輩たちに「記者の名刺さえあれば、誰とでも会える」と言われたものだ。その気になれば、ときの権力者や企業トップなどと会えてしまう。自身は現職の首相にインタビューする機会こそなかったが、元首相と話すことは何度かあった。一方…

記者はニュースを操作する

新聞やテレビはこのところ、御代替わりということで平成の30年を振り返る企画や番組であふれかえっている。偏見もあるが、おおかたの印象は、「平成」時代はちっとも「平静」でなかった―である。 この30年、どっぷりと報道に携わった者として、たしかに…

スマホ時代の新聞稼業

スマホが私たちの日常生活に欠かせない道具になって久しい。通話やカメラ、スケジュール管理のみならず、買い物やさまざまな決済までできてしまう。さらにニュース、世の中の動きさえも次々と更新されていく。 だが、新聞社に籍を置く人間のひとりとして、そ…

「原稿」を書いた最後の世代

平成のはじめ、新聞記者になった。30年の時が流れ、いまは編集の第一線を外れたため、取材現場で出ることはめっきり減った。なりたくてなった職業だから、書く機会が奪われるのは正直寂しい。ただ、他の仕事にかまけて疎かにしてしまったという後ろめたい…