PRESS PEOPLE 

新聞社の中の人のブログです。報道の仕事をして30年。誤解されていることの多い業界のリアルを更新していきます。

記者はニュースを操作する

 聞やテレビはこのところ、御代替わりということで平成の30年を振り返る企画や番組であふれかえっている。偏見もあるが、おおかたの印象は、「平成」時代はちっとも「平静」でなかった―である。

 

 この30年、どっぷりと報道に携わった者として、たしかに「平静」ではなかった。バブルがはじけ、日本経済はおかしくなった。失われた20年とか、30年とか言われる。災害も多かった。雲仙普賢岳噴火に始まり、阪神大震災東日本大震災…。さらにはオウム真理教酒鬼薔薇聖斗などの事件、JR福知山線脱線事故もあった。彼の国の出来事だが、「9・11」も2001年だから、平成ではある。天安門事件も忘れてはならない。

               

 ただ、個人的な意見ではあるが、「平成」を平静と感じにくいのは、多くの人々がここ数年に起きた出来事に対する記憶・印象に引きづられているからではないだろうか。そして、それはわれわれマスコミで働く者が、知らず知らずのうちにそう仕向けているような気がしてならない。

 特に昨年は、大阪北部地震西日本豪雨、台風21号、北海道胆振東部地震と大きな災害が立て続けに起こった。加計、森友問題では国会が紛糾し、毎日にように新聞やテレビのニュース、ワイドショーで取り上げられた。受け手は余計に印象を〝操作〟されているのかもしれない。

 

 記者は自分たちが取材したことをいつまでも大切にする。それ自体、悪いことではない。大きな政局、事件、災害の最前線にいたならばなおさらである。自慢したくもなる。そして今、新聞やテレビの第一線で働く人のほとんどが平成の出来事しか知らない。編集権を持つ今の幹部でさえも、である。だから、自分たちが「平成」を振り返ると、ちっとも「平静」でなくなってしまうわけだ。

 

 が、何もそれは「平成」に限ったことではないだろう。「昭和」の時代もそうだった。例は出さないが、大きな地震も起きたし、台風もあった。もちろん事件・事故も。記者の習性は変わらないから昭和の記者に言わせれば、「昭和」は大変な時代だった。

 

 この30年の間、夢のあるニュースも多くあった。しばらくは報道を通じ「平成」を振り返る機会が続くだろう。読者、視聴者の皆さんは〝操作〟に引っ張られることなく、冷静に記憶をたどってもらいたい。ただ、「平静」ではない時代の報道には、新しい時代を生き抜くための「教訓」や「指針」も隠されているはずである。